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京都地方裁判所 平成2年(ワ)363号 判決

原告

甲野花子(旧姓乙川)

右訴訟代理人弁護士

泉薫

右同

矢倉昌子

右同

阿部清司

被告

安里と子(以下「安里こと子」と記す。)

安里令人

安里いり

辻泉

右四名訴訟代理人弁護士

入江菊之助

右同

弓削孟

主文

一  被告安里こと子は、原告に対し、金五二万一〇〇八円及びこれに対する平成二年三月一一日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

二  被告安里令人、被告安里いり及び被告辻泉は、原告に対し、各金一七万三六六九円及びこれに対する、被告安里令人においては平成二年三月一〇日から、被告安里いり、被告辻泉においてはいずれも同月一一日から、各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

三  訴訟費用はこれを五分し、その二を被告らの、その余を原告の負担とする。

四  この判決は、原告勝訴部分に限り、仮に執行することができる。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告安里こと子は、原告に対し、金一二九万二六一四円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日から支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告安里令人、同安里いり、同辻泉は、原告に対し、各金四三万〇七五三円及びこれに対する本訴状送達の日の翌日から各支払済みまで年五分の割合による金員を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

1  原告の請求をいずれも棄却する。

2  訴訟費用は原告の負担とする。

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者等

原告は、訴外安里順記(以下「順記」という。)から、豊胸手術の施行を受けた女性である。

順記は、大阪市北区〈番地略〉(「以下「大阪診療所」という。)及び京都市中京区〈番地略〉(以下「京都診療所」という。)の二か所において、「あさと美容外科医院」の名称で美容外科医院を開業していた医師であったが、平成元年八月一六日、死亡した。

被告安里こと子(以下「被告こと子」という。)は順記の妻であり、被告安里令人(以下「被告令人」という。)被告安里いり(以下「被告いり」という。)、被告辻泉(以下「被告辻」という。)は、いずれも順記と被告こと子との間の子である。

2  診療契約の締結

平成元年四月一三日、原告は、大阪診療所において、順記との間で、報酬約五四万円で、順記から、両胸にシリコンパックを挿入する方法の豊胸手術を受ける旨の診療契約(以下「本件契約」という。)を締結した。

3  原告の症状経過

(一) 前同日、順記は、大阪診療所において、原告に対し、両胸に五〇ccのシリコンパックを挿入する方法の豊胸手術(以下「第一手術」という。)を実施した。

その際、左胸については、すんなりとシリコンパックを挿入できたが、右胸については、右胸下の切開が十分でなかったため、シリコンパックを挿入して創部を縫おうとしても創部がなかなか閉まらず、シリコンパックを取り出しては麻酔をし、更に切開をしてから再度シリコンパックを挿入することを何度も繰り返した。

(二) 同月一七日、原告は、大阪診療所において、順記から、両胸部のガーゼ及びパットの交換を受け、その際、胸部の張りと痛みとを訴えたが、順記はこれを取り合わなかった。

原告は、同月二〇日、大阪診療所において、抜糸を受けた。ところが、同月二一日夜間、患部(右胸下)より血が滲み、そこから創部が開きそうになったので、順記方に架電し、その旨訴えたが、順記は「バンドエイドでも貼っておくように。」との指示をしただけであった。

(三) 同月二二日午後一時ころ、原告は、第一手術での右胸下の創部がしゃ開し、右胸に挿入されていたシリコンパックがそこから体外に飛び出したため、電話で順記にその旨伝えたところ、順記は、「今は手術中なので、夕方に京都診療所のほうに来て欲しい。」と指示した。そこで、原告は、同日夕方、京都診療所を訪れ、同所において、順記より、右胸から体外に飛び出したシリコンパックを再度右胸部に挿入する手術(以下「第二手術」という。)を受けた。

この第二手術の際、原告は、順記から、体外に飛び出たシリコンパックをすぐに再挿入する場合の危険性について何ら説明を受けていないし、再挿入の手術の施行を拒絶されたこともない。

(四) ところが、第二手術を施行した直後の同日夜以降、原告は、右胸創部が発熱し、同月二三日(日曜)朝には起きることができない状態となったので、大阪市大正区小林西一丁目の一所在の串田病院(救急病院)で診察を受けたところ、担当医から、「これは、かなり腫れており、膿でももっているのではないか。このまま放置すると、菌が頭にのぼってくるおそれがあり危険だ。」といわれたが、原告は、小さな子供がいるので、すぐに串田病院で入院することはできなかった。しかし、同月二四日にはもっとひどい状態となったため、同月二五日、遂に、串田病院に入院し、同病院医師により、右胸部に挿入されているシリコンパックの摘出及び同患部洗浄等の処置を受けた。

原告は、同年五月一日、串田病院を退院し、同月一三日まで、同病院に通院したが、同年六月一二日、同病院医師石村俊信により、「右胸部膿瘍(異物挿入による豊胸手術後)」との診断を受けている(同医師作成の同日付け診断書)。

(五) 第二手術後、原告に右胸部膿瘍が発症し、創部が化膿していたことは、前記串田病院医師の診断のほか、同病院での同年四月二五日実施の細菌検査結果(創部より採取した膿から、黄色ブドウ球菌が検出された)や同日における原告の右胸部の腫張、発赤、圧痛、右乳房下部の波動等の諸症状からも明らかである。

(六) 原告は、串田病院退院後、順記に架電し、串田病院で右側シリコンパックの摘出術を受けたので、右胸部にもう一度シリコンパックを挿入する手術を施行してもらいたい旨申し入れたが、順記は、これを拒絶した。

そこで、やむなく、原告は、同年六月六日、神戸市中央区三宮一丁目二の一所在(当時)の杉本美容形成外科(杉本孝郎医師)で診察を受けたところ、順記が原告の胸部に挿入したシリコンパックは他では使用していない特別なサイズ(五〇cc)なので、挿入されている左側シリコンを摘出した上で両胸とも豊胸手術をやり直す必要があるとのことだった。

原告は、同月一九日、杉本美容形成外科(杉本孝郎医師)で、豊胸手術のやり直し手術(左胸に入っているシリコンパックを摘出した上、左右の胸ともシリコンパックを入れなおす。)を受け、同月三〇日まで同医院に通院した。

(七) 現在、原告の右胸下には、順記施行の豊胸手術に起因する創瘢痕が残存している。

4  順記の診療上の過誤

順記の原告に対する診療行為には、次の(一)、(二)に掲げる診療上の過誤があるので、順記は原告に対し、診療契約上の債務不履行責任(民法四一五条)を負う。

(一) 第一手術関係

(1) 手術手技の過誤

順記は、第一手術の際、原告の右胸下を十分に切開しないまま、シリコンパックを挿入しようとしたので、シリコンパックをすんなりと右胸に挿入することができなかった。そして、何度もシリコンパックを出し入れするうちにシリコンパックを空気感染させ、その結果、右胸創部がしゃ開したか、あるいは、無理にシリコンパックを押し込んだために縫合部分に負担がかかり、その結果、右胸創部のしゃ開が生じたものである。

(2) 手術適応の診断の過誤

美容外科では手術の緊急性・必要性に乏しい場合が多いから、美容外科手術を施行しようとする医師としては、患者の手術適応の有無を十分慎重に診断し、医学的な専門的見地から当該手術の施行が不適切な場合には、即時手術を施行してほしいとの患者の依頼を拒絶してでも、手術の施行を適当な時期まで延期すべきものであるところ、本件当時原告には小さな子供がおり、術後に子供を抱いて胸を圧迫し、これがために創部がしゃ開するおそれが高いのだから、順記としては、原告の子供がもう少し大きくなるまで手術の施行を延期すべきであったのに、これを怠り、即時、手術を施行して、原告の右胸創部のしゃ開を発生させたものである。

(二) 第二手術関係

美容外科では手術の緊急性・必要性に乏しい場合が多い上、シリコンパックを挿入する豊胸手術後に創部がしゃ開し、シリコンパックを創部から一旦取り出した場合、すぐに再挿入をすると、創部が感染する危険性が高いのだから、美容外科医としては、このような再挿入手術の施行が医学的な専門的見地から不適切であれば、たとえ患者から手術の即時施行を懇願されてもこれを断固拒絶し、手術の施行を適切な時期まで延期させるか、手術を施行するにしても、術前に十分な検査を実施して患者の手術適応の有無を慎重に診断するのはもちろんのこと、感染予防のため万全の措置を講じた上で手術を施行すべきである。

しかるに、順記は、原告の右胸の創のしゃ開部から一旦体外に取り出したシリコンパックを直ちに再挿入すると創部が感染する危険性が高いにもかかわらず、原告の右胸創部の感染の有無につき何ら検査をしない上、次の(1)ないし(3)のとおり、感染予防のため不可欠な措置を怠ったまま、安易に再挿入手術を施行し、その結果、原告に右胸部膿瘍の症状を発症させたものである。

(1) 手術材料の滅菌措置の不適切

手術材料はこれを滅菌(病原性、非病原性を問わず、全ての微生物を死滅ないし不活性化させることをいう。)して利用することが原則であり、消毒(病原微生物を目標にして化学的、物理的方法で処理し、感染を防ぐ機序をいう。)では不十分である。現在手術材料の滅菌法としてはオートクレーブ(高圧蒸気滅菌法)による方法が圧倒的に普及しており、シリコンパックもオートクレーブによる滅菌法の適応がある。

しかるに、順記は、オートクレーブによる滅菌を怠ったばかりか、挿入後の異物反応の原因となり、シリコンパックに禁忌とされるマーゾニン(消毒薬)を用いた。

(2) ドレナージ不施行

美容外科では、手術時にドレナージ(排液法)を施行するのが一般的であり、殊に再挿入手術ではその必要性が高いにもかかわらず、順記はこれを怠った。

(3) 抗生物質の投与量不十分

原告の右胸創のしゃ開部から一旦体外に取り出したシリコンパックを直ちに再挿入すると創部が感染する危険性が高い上、オートクレーブによる滅菌がなされていないのだから、十分な量の抗生物質を投与すべきであったのに、順記が投与した抗生物質の量は感染予防には不十分なものであった。

5  原告の損害

前記4の順記の債務不履行により原告に生じた損害は、次の(一)ないし(四)のとおりである(合計二五八万四五二二円)。

(一) 串田病院での治療費

原告は、前記3の(四)のとおり串田病院に入・通院し、同病院において右胸シリコンパック摘出の手術を受けたものであり、その費用は七万七五二二円である。

(二) 杉本美容形成外科での治療費(手術費用ほか)

原告は、前記3の(六)のとおり杉本美容形成外科に通院し、同医院において左右の豊胸手術を受けたものであり、その費用は一一〇万七〇〇〇円である。

(三) 慰謝料

原告が被った精神的・肉体的苦痛を慰謝するには、金一〇〇万円が相当である。

(四) 弁護士費用

原告は、本件訴訟を本件原告代理人らに委任し、右弁護士費用として四〇万円を本件原告代理人に支払う旨約した。

6  被告らの責任

順記は、前記4の診療契約上の債務不履行により、原告に対し、前記5の損害賠償債務(計二五八万四五二二円)を負担していたところ、被告らは、順記の死亡により法定相続分に従い、次のとおり、順記の右債務を相続により承継した。

(一) 被告こと子(法定相続分二分の一)

一二九万二六一四円

(二) 被告令人、同いり及び同辻(法定相続分各六分の一)

各四三万〇七五三円

7  よって、原告は、診療契約上の債務不履行責任に基づき、被告こと子に対しては、金一二九万二六一四円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、被告令人、同いり及び同辻に対しては、各金四三万〇七五三円及びこれに対する訴状送達の日の翌日から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払をそれぞれ求める。

二  請求原因に対する認否

1  請求原因1の事実は認める。

2  請求原因2の事実は認める。

3  請求原因3について

(一) 請求原因3の(一)の事実のうち、平成元年四月一三日、順記が、大阪診療所において、原告に対し、両胸に五〇ccのシリコンパックを挿入する方法の豊胸手術を実施したことは認め、その余は否認する。

(二) 請求原因3の(二)の事実は否認する。

(三) 請求原因3の(三)の事実のうち、原告が、同月二二日夕方、京都診療所を訪れ、同所において、順記より、右胸から体外に飛び出たシリコンパックを右胸部に再挿入する手術(第二手術)を受けたことは認め、その余は否認する。

(四) 請求原因3の(四)の事実は知らない。

(五) 請求原因3の(五)の事実は否認する。殊に、第二手術後、原告に右胸部膿瘍が発症した事実はない。

(六) 請求原因3の(六)の事実のうち、原告が串田病院退院後、順記に架電して、串田病院で摘出された右胸部にシリコンパックを再挿入する手術の施行を依頼したところ、順記が、これを拒絶したことは否認し、その余は知らない。

(七) 請求原因3の(七)の事実は知らない。

4  請求原因4について

請求原因4の(一)、(二)の事実はいずれも否認する。順記に診療上の過誤があり、これにより原告に対し債務不履行責任を負うとの主張は争う。

5  請求原因5の事実は知らない。

6  請求原因6について

被告らが順記を相続したことは認める。

三  被告らの主張

1  原告の順記方での診療経過等

(第一手術関係)

平成元年四月一三日、大阪診療所での術前の問診の際、原告は、「抱っこしてやらねばならない幼児がいる。」等と述べたので、順記は、「手術後に幼児を抱くと手術箇所が開いてしまうので、今は手術はできない。」等と手術の実施を強く断った。しかし、原告は、「先生の注意を必ず守るから、是非手術をして欲しい。」等となおも懇願するので、順記は、止むなく、医師の注意を完全に守ることを原告に約束させるとともに、注意事項に違反したら手術はだめになり、責任は持てない旨を十分に言い聞かせた上で、第一手術の施行を約し、これを施行した。

第一手術は、乳房下縁線切開・大胸筋筋膜上埋没法という手術手技により行われた。これは美容形成外科の極めて評価の高い標準的な教科書で用いられている方法であり、医学的に承認された手技である。

手術終了後、順記は原告に対し、重いものを持ったり、子供を抱いて胸を強く圧迫するようなことをしてはならないこと等を重ねて細々と注意をした。

(第二手術関係)

同月二二日、順記は、原告から、右胸創部の異常を訴える電話を受けたので、すぐに京都診療所に来るよう指示した。同日夕方、原告は、京都診療所を訪れ、順記に対し、「先生の注意を守らず、子供を抱いたために、手術の縫い目が口を開いた。」旨を告げた。

順記が原告の右胸創部(右側乳房下部切開部)を診察したところ、一ミリ程のしゃ開があり、創部が口を開きかけている状態であったが、感染の徴候はなかったので、本来なら、そのまましゃ開部を再縫合しても医学的に何ら問題はなかった。しかし、順記は、原告が医師の注意事項に反して子供を抱き、胸を強く圧迫して右胸創部のしゃ開を招いたことから、そのまましゃ開部を再縫合してもまた同じ結果になることをおそれ、豊胸手術を一旦中止・延期することとした。そこで、順記は、原告の右胸創部に挿入してあるシリコンパックを摘出し、これを滅菌食塩水を満たした滅菌シャーレに入れ、摘出後の創部を完全に縫合して閉鎖し、手術を終えることとした。

しかるに、原告は、即時、再手術の施行を希望した。一般に、シリコンパックを摘出した後、手術創が完全に治癒する前に異物を再挿入すると、創の治癒が遅れるばかりでなく、初回手術に比べて術後の生体の炎症反応が強度となり、浸出液が持続的に産出される結果、ガーゼ等が湿潤して創部が汚染される危険性が高く、ひいては感染が生ずる可能性があるので、順記は、「医師の注意を守らねば、いかに立派な手術をしてもだめになるし、今すぐに手術をしたら、あとでまた口が開いたり、そのために化膿する等不成功率が高いから、再手術はできない。」等と原告の申入れを断った。しかし、原告が、「仕事の関係で時間がなく、再び手術に来ることはできない。先生の注意をよく守るから、是非、再手術をして欲しい。」等と懇願してきたので、順記は、再手術の危険性を繰り返し説明し、原告の申入れを強く拒絶した。ところが、原告は、なおも、「手術が不成功に終わっても、その結果は十分に理解できたし、失敗しても私の責任で先生に迷惑をかけないので、なんとしても再手術をして欲しい。」等と再三にわたって懇願し、その場に座り込んで動こうとしなかった。そこで、順記は、止むなく、今すぐに再手術をしても不成功率が高いことを原告に重ねて説明し、術後は安静を守ること、子供を抱かないこと等、細々と原告に術後の注意を与えた上で、再手術(第二手術)を施行することとした。

第二手術に先立って、順記は、血清ナトリウム値・カリウム値、血糖値の各測定検査を実施した。これは、順記が、日頃より、その独自の研究によって、血清ナトリウム値・カリウム値、血糖値をもって感染の可能性を高める炎症反応の有無・程度の指標としていたものであったが、右各検査結果に異常はみられなかった。

原告の右胸創部から摘出したシリコンパックは、非感染創から無菌状態で摘出したものであり、本来は、そのまま再挿入することが可能であったが、順記は、念のため、マーゾニン(消毒薬)で消毒してから、これを挿入した。また、原告の右胸創部に感染の徴候はなかったが、順記は、念のため、予防的に、抗生物質(水溶性結晶ペニシリン一〇万単位)を投与(注射)しておいた。

順記は、このように感染予防のため細心の注意を払い、万全の措置を講じつつ、第二手術を施行したものである。

その後、原告は一度も順記の診察を受けておらず、第二手術の原告の症状経過等は順記には分からなかった。

2  第二手術後、原告に右胸部膿瘍の症状はなかった

(一) 串田病院に通・入院後の原告の体温、白血球数・好中球数、赤血球沈降速度値、病理組織検査結果は、いずれも原告の右胸部膿瘍の発症に対し否定的である。

すなわち、平成元年四月二三日、二五日での原告の体温は全て平熱であり、同月二六日、二七日の白血球数、好中球数及び同月二七日の赤血球沈降速度値はいずれも正常範囲内であって、感染症に伴う変動がみられない上、同月二五日実施の病理組織検査では、急性化膿性炎の特徴は認められず、かえって、慢性肉芽腫性炎及び異物性肉芽腫の特徴が認められる(つまり、同月二五日の原告の右側豊胸術術後巣の病理組織学的状態は、同月二二日の第二手術と関係した急性期感染病巣ではあり得ない。)。

(二) 加えて、原告が、右胸部膿瘍の発症の根拠と主張する串田病院での同月二五日実施の細菌検査結果(創部より採取した膿から、黄色ブドウ球菌が検出された)についても、黄色ブドウ球菌は感染創以外に常在する菌であるし、右検査の検体が何であるかが同検査に係る細菌検査報告書の「検体」欄の記載自体からは明らかでないから、原告の右胸部膿瘍の発症を裏付けるに足りるものではない。

(三) 串田病院での原告の諸症状(腫張、発赤、圧痛、右乳房下部の波動)についても、シリコンパック等の異物を体内に挿入する場合には異物挿入による生体の炎症反応によって浸出液の貯蓄がみられるものであり、原告の指摘する右の諸症状は、局所の炎症を示すものではあるが、直ちに原告の右胸部膿瘍の発症を裏付けるものではない。

3  請求原因4(順記の診療上の過誤)に対する反論

(一) 請求原因4の(一)の(1)(第一手術の手術手技の過誤)に対し

第一手術は、乳房下縁線切開・大胸筋筋膜上埋没法という手術手技により行われており、これは美容形成外科の極めて評価の高い標準的な教科書で用いられている方法で、医学的に承認された手技であるから、順記の第一手術の手術手技には何ら過誤はない。原告の右胸創部が術後にしゃ開したのは、第二手術に際して原告が自認していたように、原告が順記の指示に反して、術後に子供を抱いて胸を強く圧迫したことが原因である。

(二) 請求原因4の(一)の(2)(第一手術の手術適応の診断の過誤)に対し

順記は、第一手術に先立って、原告に対し、「手術後に幼児を抱くと手術箇所が開いてしまうので、今は手術はできない。」等と手術の実施を強く断ったが、原告から、「先生の注意を必ず守るから、是非手術をして欲しい。」等と懇願され、止むなく、術後に幼児を抱かないよう十分に注意を与えた上で、第一手術を施行したものであり、このような順記の処置には全く過誤はない。

(三) 請求原因4の(二)(第二手術の過誤)に対し

第二手術は、原告が、術前に、その危険性につき順記から十分な説明を受け、これを十分に理解し、承知しながら、なおその施行を強く懇願した結果、止むなく、施行されたものであるから、その結果について医療過誤の問題の生ずる余地はない。

加えて、順記は、血清ナトリウム値・カリウム値、血糖値を術後の炎症反応の指標とし、インターセリン等の投与によりこれを抑制するという独自の方法を研究、実践しており、第二手術においても、先に1で主張したとおり、感染予防のため細心の注意を払い、万全の措置を講じた上で、第二手術を施行したものであり、この点においても、順記の処置には何ら過誤はない。

なお、原告は、順記が感染予防のため不可欠な措置を怠ったと主張するが、以下に述べるとおり、原告の主張には理由がない。

すなわち、まず、請求原因4の(二)の(1)(手術材料の滅菌措置の不適切)であるが、原告の右胸創部から摘出したシリコンパックは、非感染創から無菌状態で摘出したものであり、本来、そのまま挿入することが可能であった。マーゾニン(消毒薬)で消毒したのは、念のための処置である。

次に、請求原因4の(二)の(2)(ドレナージ不施行)であるが、第二手術の際に、原告の右胸創部に感染の徴候はなく、創の化膿はなかった上、順記は、インシュリンによる血糖値の調整やカルボカインの皮下注射、インターセリン注射等により、創のしゃ開や化膿の原因となりうる生体の異物挿入による炎症反応を抑制するための独自の処置を研究し、これを実施していたから、ドレナージを施行する必要はないのである。

更に、請求原因4の(二)の(3)(抗生物質の投与量不十分)についても、美容外科手術は基本的に清潔手術であり、シリコンパックを用いた豊胸手術での術後感染症の発症は一パーセント以下にすぎないので、術後の予防的の抗生物質の投与は医師の裁量に委ねられており、また、抗生物質の投与量は、予防的な投与と感染症に対する投与とで差異がある。順記が抗生物質(水溶性結晶ペニシリン一〇万単位)を投与(注射)したのは、念のため処置であり、また、第二手術の際、原告の右胸創部に感染の徴候はなく、創の化膿はなかったのであるから、投与量が能書記載の量(感染症に対する投与量)より少ないことの一事をもって、投与量が不足していたとはいえない。

第三  証拠〈省略〉

理由

一請求原因1(当事者等)の事実、請求原因2(診療契約の締結)の事実、平成元年四月一三日、順記が、大阪診療所において、原告に対し、両胸に五〇ccのシリコンパックを挿入する方法の豊胸手術を実施したこと、同月二二日夕方、原告が、京都診療所において、順記より、右胸から体外に飛び出したシリコンパックを右胸に再挿入する手術(第二手術)を受けたこと、被告らが順記を相続したことの各事実は当事者間に争いがない。

二原告の症状経過等

前記一の当事者間に争いのない事実に加え、〈書証番号略〉、原告本人(後記措信しえない部分を除く)及び被告こと子(後記措信しえない部分を除く)の各本人尋問の結果を総合すると、次の1ないし5のとおりの事実が認められる。

1  原告は、第一手術当時、二八歳の既婚の女性(乙川姓)であり、順記は、右当時、大阪市北区〈番地略〉(大阪診療所)及び京都市中京区〈番地略〉(京都診療所)の二か所において、「あさと美容外科医院」の名称で美容外科医院を開業する医師であった(平成元年八月一六日、死亡)。

2  (第一手術)

平成元年四月一三日、原告は、大阪診療所において、順記との間で、報酬約五四万円で、原告の両胸に五〇ccのシリコンパックを挿入する方法による豊胸手術(第一手術)を受ける診療契約(本件契約)を締結した。

手術の施行に先立ち、原告は、順記から、両側の胸の下側を切ってシリコンパックを挿入する手術であること、傷痕が二ないし三センチ残るが、二年位で綺麗に消えること、入浴は術後しばらく避けること等の説明を受けた。その際、原告は、抱っこするような小さな子供がいることを話したが、そのことで、特に、順記が原告に対し、子供が小さいうちは手術はできない等と説明するようなことはなかった。

手術前には、原告の血清ナトリウム値・カリウム値、血糖値の各測定検査が実施され、その結果、異常は認められなかった。

手術手技は、まず、乳房の下縁中央を中心に、下縁に沿って三〇ミリから四〇ミリの皮切を加え、眼科用の直セン刃を用いて皮下脂肪、結合織を左右に分け、胸壁、筋肉に至り、その後、筋肉と乳腺との間を剥離して上方に進むもので、乳房下縁線切開・大胸筋筋膜上埋没法というべき方法であった。

手術中、左胸については、すんなりと、シリコンパックを挿入し、切開部を縫合したが、右胸については、やや手間取り、何度か麻酔をして、切開を幾度か繰り返した末、シリコンパックを挿入し、切開部を縫合して、手術を終えた。

手術終了後、術前と同じ検査が実施されたが、このときとも特に異常は認められなかった。順記は原告に対し、胸を強く圧迫しないこと、栄養を十分に採ること等の一般的な注意事項を説明した。

3  (第二手術)

同月二二日、原告は、第一手術での右胸下の創部がしゃ開したため、電話で順記にその旨を訴えた後、同日夕方、京都診療所を訪れた。

順記が原告の右胸創部(右側乳房下部切開部)を診察したところ、一ミリ程のしゃ開があり、創部が口を開きかけている状態であったが、感染の徴候は認められなかった。そこで、順記が、原告に対し、「少し傷口が開いているようだから縫いますが、簡単に縫ったりすると後でいけなくなると困るので、一度シリコンパックを取り出します。」等と告げたところ、原告は、「取り出さないでそのまま収まりませんか。」等と聞いた。これに対し、順記は、「ばい菌が入ったりする場合もあるので、やはり一度取り出したほうがよい。そして、シリコンパックを入れるのは、一か月から二か月はおいてからにします。」等と告げたが、原告は、「忙しくて何度も来られないので、できたら今日にして欲しい。」等と言って、再挿入の手術の即時施行を求めたので、結局、順記は、原告の求めに応じることとした。

手術に先立って、原告の血清ナトリウム値・カリウム値、血糖値の各測定検査が実施されたが、異常は認められなかった。

そこで、順記は、原告の右胸からシリコンパックを取り出し、これを、まず生理食塩水に漬けて付着している血液を落とした後、シャーレー(ガラス容器)内のマーゾニン(消毒液)に漬けて消毒した。それから、このようにして消毒したシリコンパックを再び原告の右胸に挿入し、創部の切開部を縫合して手術を終えた。

術後、術前と同じ検査が実施されたが、このときも特に異常は認められなかった。順記は原告に対し、絶対に胸を強く圧迫しないこと、栄養を十分に採ること等を繰り返し注意し、同月二五日にもう一度来院すること等を指示した。

4  (串田病院での経過)

原告は、第二手術の当夜より、頸の痛み(頸が回らないような感じ)を覚え、翌同月二三日(日曜)には、吐き気がし、嘔吐したので、右同日、大阪市大正区小林西一丁目一の一所在の串田病院(救急病院)で診察を受けた。その際、原告は、頸の痛み、目眩、吐き気、嘔吐の症状を訴え、また、昨日の第二手術のことも話した。体温は36.8度で、発熱はないが、右胸創部は、「清潔でない(not clear)」(〈書証番号略〉、同病院のカルテ記載)という状態であった。この日、同病院では、髄膜炎の疑いとの診断がされ、原告は、消炎剤の投与を受けた。なお、原告は、同月二三日、二四日には、順記に対し、何ら連絡はしていない。

しかし、その後も症状は改善せず、原告は、同月二五日、再び、串田病院で診察を受けた。その際、右乳房から右背部にかけての部位及び右頸部にそれぞれ痛みの訴えがあり、右頸部リンパ腺の腫れが認められた。右胸部については、腫張・発熱が認められ、著しい圧痛があり、その下部では波動が認められた。体温は、35.9度であった(入院時)。右症状より、原告は、「右乳房異物、右乳房膿瘍」との診断を受け、即時、同病院に入院した。

同日午後、原告は、串田病院において、石村俊信医師の執刀で、右胸シリコンパック摘出及び同患部洗浄等の手術を受けた。その際、右胸の術創(第二手術)縫合部を抜糸すると、自然に中央部創がしゃ開し、桃色の膿と血液内容が流出した。シリコンパックを摘出した後、この膿を、ガーゼに含ませるとともに、ガラス注射器(五ml)にも採取し、それぞれを培養検査の検体とした。更に、創内の肉芽を一部切除して病理組織検査の検体として採取した。生理食塩水、カナマイ等にて創内洗浄等の処置をした後、皮膚をナイロン糸にて縫合し、手術を終えた。

原告は、この日(四月二五日)に診察を受けに来るようにと、順記より指示されていたことから、「右胸部が化膿して、串田病院に入院するので、通院できなくなった。」旨を順記に伝えるよう、原告の母親に依頼した。そこで、原告の母親が、順記方に架電し、その旨を告げたところ、順記は、「化膿したといっても、実際に診察しないと分からないので、ともかくこちらへ来て欲しい。」等と返答したが、結局、原告は順記の診察を受けに行かなかった。

手術中に原告の右胸創部から採取された二つの培養検査の検体(膿)は、その後、大阪血清微生物研究所において培養検査を受け、その結果、いずれの検体からも黄色ブドウ球菌(グラム陽性球菌)が同定された(1プラスないし2プラス)。

また、手術中に原告の右胸創部から採取された肉芽についての病理組織検査の結果、「非特異性炎症病巣、マクロファージ(大食細胞)優位」「線維性脂肪組織の炎症で、浸潤細胞は、リンパ、好中球のほか、多数のマクロファージ(大食細胞)を混ずる。巨細胞(ラ氏型)、少数認める。」との診断がされた。

同月二六日、二七日にそれぞれ実施された血液検査の結果、原告の白血球数は、順次、八三〇〇、九二〇〇(/μl)と、いずれも正常範囲内(三五〇〇から九五〇〇)であった。

また、同月二七日に実施された赤血球沈降速度(血沈)の検査では、原告の血沈値は、一時間値で七mmと、正常値内(成人女子の一時間値で三〜一五mm)であった。

その後、原告は、串田病院に同年五月一日まで入院(七日間)し、同月二日から同月一三日までの間、通院(一二日間、実通院六日)した。

串田病院の石村俊信医師は、同年六月一二日、原告の症状を「右胸部膿瘍(異物挿入による豊胸術後)」とする診断書を作成している。

5  (杉本美容形成外科での経過)

同年六月六日、原告は、串田病院で摘出手術を受けた右胸の豊胸手術のやり直しのため、知人から聞いて知った神戸市中央区三宮一丁目二の一所在(当時)の杉本美容形成外科(杉本孝郎医師)で診察を受けた。原告は、杉本孝郎医師(以下「杉本医師」という。)に、順記施行の豊胸手術その他の既往を説明し、右胸の豊胸手術のやり直しを依頼したところ、杉本医師は、順記が原告の胸部に挿入したシリコンパックは他院では使用していない特別なサイズ(五〇cc)なので、挿入済みの左側シリコンも摘出した上で、両胸とも豊胸手術をやり直す必要があること等を説明した。原告は、この問診の際の杉本医師の話振りから、順記の美容外科医としての評価につき、芳しくない印象を受けた。

原告は、同月一九日、杉本医師から、豊胸手術のやり直し手術(左胸に入っているシリコンパックを摘出した上、左右の胸ともシリコンパックを入れなおす。)を受け、同月三〇日まで同医院に通院(二五日間、実通院六日)した。

6  以上1ないし5のとおり認定することができる。

原告は、その本人尋問において、第二手術の際、「右胸のシリコンパックは、しゃ開した創部から体外へ飛び出してしまっていた。」等と右3の認定事項に反する供述をするが、原告の供述内容には不自然な点が多く、これを措信し得ない。

原告本人尋問の結果中、順記が第二手術の危険性を説明したり、手術を拒絶したことは全くないとの部分及び第二手術の際、順記は、シリコンパックを生理食塩水で消毒しただけで再挿入したとの部分は、いずれも、被告こと子の本人尋問の結果に照らし、措信し得ない。

原告本人尋問の結果中、第二手術の際には何ら検査も実施されなかったとの部分は、〈書証番号略〉(検査数値を記載したノート)の四月二二日分の記載によると検査を実施していることが明らかであり、措信し得ない。

被告こと子の本人尋問の結果中、原告は、第二手術の即時施行を順記に求めた際、「もし変なことになってもそれは私の責任です。」等と述べたとの部分は、にわかに措信し得ない。

原告本人尋問の結果中、第二手術当夜、原告に三八度の発熱があったとの部分は、翌二三日の串田病院での診察まで何らの治療を受けていないのに同病院で体温が36.8度であったとされていることからみても、にわかに措信し得ない。

原告本人尋問の結果中、原告が、串田病院退院後、順記に対し、串田病院で摘出術を受けた右胸部にシリコンパックを再挿入する手術の施行を電話で依頼したが、順記はこれを拒絶したとの部分及び原告の右胸下部の二か所の傷口(順記及び杉本医師による)のうちの順記が縫った方から糸のようなものが出ており、それに触れると痛み等があるとの部分は、にわかに措信し得ない。

他に前記1ないし5の認定を覆すに足りる証拠はない。

三原告の右胸部膿瘍(化膿)発症の有無

1  豊胸手術の術後合併症(感染症ほか)

〈書証番号略〉によれば、豊胸手術の術後合併症(感染症ほか)に関する医学的知見として、次の(一)、(二)のとおり認められ、この認定に反する証拠はない。

(一)  感染症

感染発症の徴候は、乳房の発熱、圧痛及び腫張である(〈書証番号略〉、一九八〇年発行の文献「美容形成外科学(トーマス・リース著)」中の「術後合併症」の項の「感染症」の部分。なお、訳文は、〈書証番号略〉)。

シリコンパックや手術器具の不完全な消毒、不潔な手術操作が感染症の原因となることはいうまでもないが、このような場合よりも、むしろ、血腫、セローマ(人工材料の体内への挿入による異物反応)、皮膚壊死、創のしゃ開が感染症の原因となることが多いといわれ、これらの予防が感染症の予防にとって重要である(〈書証番号略〉、昭和六二年発行の文献「美容形成外科学」中の「Ⅵ豊胸術の合併症」の項の「3感染」の部分)。

(二)  異物挿入による炎症反応ないしセローマ

人工材料を体内に挿入する以上、その程度に差こそあれ、異物反応は避けられず、この異物反応はセローマと称され、合併症の一つとして挙げられる(〈書証番号略〉、前掲文献中の前掲項の「2セローマ」の部分)。

シリコンパック等の異物を挿入した場合、術後早期には、ある程度の浸出液がシリコンパックの周りに貯留しうるが、これらは周囲の組織に吸収されるのが一般的である。高度な浸出液の貯留は稀であるが、浸出液が貯留しすぎると、炎症反応や感染症が起こり得る(〈書証番号略〉、前掲文献中の前掲項の「創のしゃ開」の部分。なお、訳文は、〈書証番号略〉)。

シリコンパック等の異物を挿入した場合、生体の異物反応のために浸出液が手術創部に貯留して嚢胞を形成し、その結果、手術創部に波動が生ずることがあり得る(〈書証番号略〉、被告令人陳述書の1―(2)の部分)。

手術で挿入されたシリコンパックを摘出した後、手術創が完全に治癒する前に異物を再挿入する場合、創の治癒が遅れるとともに、初回手術に比べて、手術後の生体の異物反応が強度となって、切開した部分に浸出液が持続的に産出されるため、ガーゼ等が湿潤して創部が汚染される危険性が高く、これにより、その部分に感染の生じる可能性がある(〈書証番号略〉、被告令人陳述書の3―4の部分)。

セローマに対する処置は、できれば開創し、確実に持続吸引ドレナージを行うのがよい(〈書証番号略〉、前掲「2セローマ」の部分)。

2  原告の右胸部膿瘍(化膿)の有無に関する判断

前示二の原告の症状経過と右1認定の医学的知見とを総合して、原告の右胸部膿瘍(化膿)発症の有無につき判断する。

(一)  一般に、手術で挿入されたシリコンパックを摘出した後、手術創が完全に治癒する前に異物を再挿入する場合、創の治癒が遅れるとともに、初回手術に比べて、手術後の生体の異物反応が強度となり、また、手術創部に貯留した浸出液が嚢胞を形成し、その結果、手術創部に波動が生ずることがあり得るところ、平成元年四月二五日での原告の右胸下部の波動の症状(串田病院)からは、右同日、原告の右胸創部に異物挿入による炎症反応ないしセローマが発症していたことが認められる(この事実については、被告令人も〈書証番号略〉陳述書において認めているものと窺える。)。

次に、串田病院での手術中に原告の右胸創部から採取された二つの検体(膿)についての培養検査の結果、いずれの検体からも黄色ブドウ球菌(グラム陽性球菌)が同定された(1プラスないし2プラス)こと、串田病院での手術を執刀し、術中の原告の右胸創部及びそこから流出する膿の性状等を現実に診察した同病院の石村医師が、細菌培養・病理組織その他の各検査結果が出た後に、これを踏まえた上で、原告の右胸部膿瘍(化膿)の発症ありと診断していることの各事実に照らすと、第二手術後、原告の右胸部が化膿し、膿瘍が生じたものと認めることができる。

そして、一般に、手術後の生体の異物反応により生じた浸出液が貯留しすぎると、炎症反応や感染症が起こり得るものであり、特に、手術創が完全に治癒する前に異物を再挿入すると、創の治癒の遅れのほか、初回手術時よりも術後の生体の異物反応が強度となることから、ガーゼ等が湿潤して創部が汚染される危険性が高く、その部分に感染の生じる可能性があることに加え、後記のとおり、順記は第二手術において一旦原告の右胸から取り出したシリコンパックを再挿入するに際し、オートクレーブ(高圧蒸気滅菌法)による滅菌ではなく、禁忌とされている薬液(マーゾニン)による方法を施行したこと、平成元年四月二三日での原告の右胸創部が「清潔でない(not clear)」状態であったことからは、前示した原告の右胸創部に発症していた異物挿入による炎症反応ないしセローマは強度のものであり、そのため、右胸創部のガーゼ等が湿潤して創部が汚染され、そこに感染が生じたものと推認することができる。

以上より、第二手術後、原告は、強度な異物挿入による炎症反応ないしセローマとなり、そのため、右胸部が化膿し、膿瘍が生じたものと認めることができる。

(二)  これに対し、被告らは、いくつかの事実を指摘して、原告の右胸部膿瘍(化膿)の事実を争っているので、以下この点について補足的に説明を加えることとする。

まず、串田病院のカルテ添付の二通の細菌培養検査報告書(報告日平成元年四月二八日付け及び同年五月一日付け。〈書証番号略〉)の「検体」欄には、それぞれ、「その他の部位から」、「喀痰」と記載されており、被告らは、この事実より、右各検体が手術中に原告の右胸創部から採取された膿であるかどうかは明らかでない、と主張するけれども、右細菌培養検査報告書には、いずれも、「被験者名オツカワ(原告の旧姓)ハナコ」、「採取日、八九年(平成元年)四月二五日」との記載があり、一方、串田病院のカルテの同日分の記載を見ると、右同日、串田病院が、手術中に原告の右胸創部からガーゼ及び注射器でそれぞれ採取した膿以外の検体を採取し、これを培養検査に提出した事実は窺えない。したがって、前記二通の細菌培養検査報告書の検体がいずれも手術中に原告の右胸創部から採取された膿であることは明らかである。

次に、串田病院のカルテ四月二五日分の手術記録の記載をみると、培養検査の検体となった膿は原告の右胸創部から直接採取されており、黄色ブドウ球菌が感染創以外に常在する菌であることから直ちに原告の右胸部膿瘍(化膿)を否定することはできないというべきである。

また、被告らは、原告の第二手術後の体温、白血球数、赤血球沈降速度(血沈値)はすべて正常範囲内であって感染症に伴う変動がみられないので、原告の右胸部膿瘍の発症は否定的であると主張するけれども、前記の培養検査の同定で1プラスないし2プラスという軽度な結果が出たことからは、原告の右胸部膿瘍(化膿)は極めて軽微な症状であったことが窺え、そうだとすると、体温、白血球数等が正常範囲内であったことの一事実をもって、原告の右胸部膿瘍(化膿)を否定するのは困難というべきである。

更に、手術中に原告の右胸創部から採取された肉芽についての病理組織検査の結果、「非特異性炎症病巣、マクロファージ(大食細胞)優位」「線維性脂肪組織の炎症で、浸潤細胞は、リンパ、好中球のほか、多数のマクロファージ(大食細胞)を混ずる。巨細胞(ラ氏型)、少数認める。」との診断がされたことから、被告らは、右検査結果は慢性肉芽腫性炎及び異物性肉芽腫の特徴を示し、急性化膿性炎の発症に否定的である(つまり、同年四月二五日の原告の右側豊胸術術後巣の病理組織学的状態は、同月二二日施行の第二手術と関係した急性期感染病巣ではあり得ない。)と主張するけれども、原告は串田病院での手術の一二日前(同年四月一三日)にも同一部位に手術(順記施行の豊胸手術―第一手術)を受けているので、右検査結果にはこの第一手術による影響も考えられ、右検査結果により直ちに第二手術後の原告の右胸部膿瘍(化膿)の発症を否定しうるのか疑問が残るところであり、結局、右事実も前記認定を覆すに足りるものではないというべきである。

四順記の診療上の過誤について

1  請求原因4の(一)の(1)(第一手術の手術手技の過誤)について

第一手術の状況に関する前記二の2の判示事実によれば、順記は、第一手術で右胸の処置にやや手間取り、何度か麻酔をして、切開を幾度か繰り返していたことが認められるけれども、右事実から、直ちに、順記が何度もシリコンパックを出し入れするうちにシリコンパックを空気感染させて、その結果、右胸創部がしゃ開したとの事実を推認することはできないし、また、順記が無理にシリコンパックを押し込んだために縫合部分に負担がかかり、その結果、右胸創部のしゃ開が生じたという事実を推認することもできないものというべきである。

また、前掲の〈書証番号略〉(前掲の「創のしゃ開」の部分。なお、訳文は、〈書証番号略〉)によれば、癒合の不十分な手術創部に強い圧迫を加えると創はしゃ開しうることが認められ、このように、手術手技以外の原因によっても創のしゃ開が発生するのであるから、第一手術後に原告の右胸創部のしゃ開が生じた事実のみから順記の第一手術の手術手技の過誤を推認することはできない。

他に、第一手術の手術手技の過誤を推認させる事実もなく、結局、原告の主張は理由がない。

2  請求原因4の(一)の(2)(第一手術の手術適応の診断の過誤)について

〈書証番号略〉(杉本医師の「回答」と題する書面)によれば、豊胸手術の施行を希望する患者に一歳の子供がいても、育児上の注意を払えば、豊胸手術を施行することに何ら問題のないことが認められ、この認定に反する証拠もない。

したがって、原告の主張は理由がない。

3  請求原因4の(二)(第二手術の過誤)について

(一)  第二手術の危険性

先に三の1の(二)で認定した異物挿入による炎症反応(セローマ)に関する医学的な知見によれば、一般に、シリコンパック等の異物を挿入した場合、高度な浸出液の貯留は稀であるものの、浸出液が貯留しすぎると、炎症反応や感染症が起こりうるものであるところ、特に、手術で挿入されたシリコンパックを摘出した後、手術創が完全に治癒する前に異物を再挿入する場合、創の治癒が遅れる上、初回手術に比べて、術後の生体の異物反応が強度となり、切開した部分に浸出液が持続的に産出されるため、ガーゼ等が湿潤して創部が汚染される危険性が高くなって、その部分に感染の生じる可能性があり、また、異物挿入による炎症反応(セローマ)が生じた場合、開創して確実にドレナージを行うため、挿入したシリコンパックを摘出する事態が生じうる、というのである(なお、弁論の全趣旨によれば、順記も、右の医学的知見を有していたものと認めるのが相当であり、これに反する証拠はない。)。

以上によれば、順記が原告に対して第二手術を施行した場合、第一手術に比べて、手術後の生体の異物反応が強度となる等の原因から、術後に異物挿入による炎症反応(セローマ)ひいては感染症が生ずる危険性が極めて高かったというべきであり、この判断を覆すに足りる証拠はない。

(二)  術後感染の予防に関する医学的知見

〈書証番号略〉によれば、手術材料の滅菌措置、ドレナージ、予防的な抗生物質の投与の各事項に関する医学的知見として、次のとおり認めることができ、これを覆すに足りる証拠はない。

(手術材料の滅菌措置)

手術材料は、これを滅菌(病原性、非病原性を問わず、全ての微生物を死滅ないし不活性化させることをいう。)して利用するのが原則であり、現在、滅菌法としてはオートクレーブ(高圧蒸気滅菌法)による方法が圧倒的に普及しており、シリコン製品はオートクレーブによる滅菌法の適応がある。

薬液によるシリコンパックの滅菌は、これらがシリコン内に残りやすいため、挿入後も異物反応(セローマ)の原因となり、禁忌である。

(ドレナージ)

ドレナージは術後に創内に起こる出血を体外に誘導して血腫を避けるための処置であり、排膿のためのものではない(それゆえ、第二手術であることはドレナージの要否とは無関係である。)。ドレナージを施行するかどうかは医師の裁量によるものである。

(予防的な抗生物質の投与)

シリコンパックを用いた乳房形成術後の感染は極めて稀であり、一パーセント以下との報告もある。術後の感染症の予防のための抗生物質の投与は裁量的なものである。

(三) 進んで、前示二の3の第二手術の経緯及び右(一)、(二)の認定事実を総合して、順記の第二手術の過誤の有無につき、判断する。

(1) (ドレナージ・予防的抗生物質)

右(二)認定の医学的知見によれば、ドレナージの施行及び術後の感染予防のための抗生物質の投与は、いずれも個々の症例に応じた担当医師の裁量的な診断に委ねられているものであり、そこに著しい裁量の逸脱が認められない限り、違法ないし診療上の過誤の問題を生じないというのが相当である。

本件では、順記のドレナージの不施行、術後の感染症の予防のための抗生物質の投与のいずれの処置についても、診断上の裁量の著しい逸脱を認めるに足りる証拠はない。なお、順記が第二手術の際に投与した抗生物質の量が、感染症の治療に対する投与量(能書記載の量)に及ばないとしても、これにより直ちに順記の診断上の裁量の著しい逸脱を認めることは困難であり、結局、原告の主張には理由がない。

(2) (手術適応・手術材料の滅菌措置)

第二手術の施行に至る経緯をみると、順記は、「簡単に縫ったりすると後でいけなくなると困る。」、「ばい菌が入ったりする場合もあるのでやはり(シリコンパックを)取り出したほうがよい。」等と第二手術に危険が伴うことにつき、事前に原告に一応説明し、原告も、これを概ね理解、納得した上で、「忙しくて何度も来られないので、できたら今日にして欲しい。」等と言って、手術の施行を求めたものであり、このように、順記が第二手術を施行したのは、患者である原告の求めに応じたが故の処置である。

しかし、医師としては、患者の希望に応じることだけでなく、専門的な医学的見地から、手術の施行によってもたらされる悪しき結果の可能性の程度をも十分に考慮して、手術適応を診断すべきことは多言を要しないところであり、加えて、いわゆる美容外科手術は、純然たる治療を目的とするものではなく、より美しくなりたいという患者の主観的な願望を満足させるために行われるものであるから、美容外科医としては、手術施行による悪しき結果の可能性の程度につき、できる限り慎重に勘案・検討した上で、手術適応を診断する注意義務を負うものというのが相当である。

更に、仮に、手術を施行するにしても、一旦患者の体内から取り出したシリコンパックを再び挿入する場合、これに滅菌措置を講ずるに際しては、異物反応(セローマ)の原因となるため禁忌とされている薬液による方法を避け、オートクレーブ(高圧蒸気滅菌法)による滅菌を施行すべき注意義務を負うものというべきである。

以上を、本件につきみるに、前示認定のとおり、第二手術を施行した場合、第一手術に比して、手術後の生体の異物反応が強度となる等の原因から、術後に異物挿入による炎症反応(セローマ)ひいては感染症が発症する危険性が極めて高く、そのため、挿入したシリコンパックを摘出する事態が生じる可能性もより高くなるというのであり、そうだとすれば、第二手術の施行により悪しき結果が発生する蓋然性の程度の高さに比し、本件契約の目的に照らして第二手術を即時敢行する医学的な理由は非常に乏しいというよりほかなく、順記の手術適応に関する診断は、通常の美容外科医として要求される知識に照らしても慎重さにいささか欠けるものがあったと認めることができる。また、前示した第二手術の施行に至る経緯も、医師の責任を免責するまでのものではないというのが相当である。

加えて、順記は、第二手術で、一旦原告の右胸から取り出したシリコンパックを再び挿入するに際し、オートクレーブ(高圧蒸気滅菌法)による滅菌ではなく、禁忌とされている薬液(マーゾニン)による方法を施行し、これにより、前示した誤った手術適応の診断による第二手術の敢行とあいまって、術後の異物挿入による炎症反応発生の危険性を高め、その結果、異物挿入による炎症反応(セローマ)ひいては感染症を発症させた点にも過誤がある。

なお、被告らは、順記は血清ナトリウム・カリウム値、血糖値を炎症反応の指標とし、インターセリン等の投与によって炎症反応を抑制する処置を研究、実践してきており、第二手術の際にもこれを適切に施行したものであってその処置に不適切な点はない旨主張するけれども、これらの処置が、前示した第二手術に伴う危険を確実に予防しうるものであることを認めるに足りる証拠もなく、被告らの右主張は理由がない。

(四)  以上判示したところにより、順記は、第二手術の手術適応に関する診断を誤ったばかりか、敢行した第二手術においても、手術材料につき不適切な滅菌措置をとったものであり、かかる診療上の過誤により、原告に対して本件契約上の債務不履行責任を負う。

五原告の損害

進んで、前示した全認定事実を前提に、順記の債務不履行により原告に生じた損害につき、判断する。

1  串田病院での治療費

前示した原告の串田病院での症状経過のほか、〈書証番号略〉によれば、原告は、串田病院に入・通院して、右胸部膿瘍の症状に対する右胸シリコンパック摘出・患部洗浄等の治療を受け、その費用は七万七五二二円であることが認められ、右費用は、順記の債務不履行と相当因果関係のある損害ということができる。

2  杉本美容形成外科での治療費(手術費用ほか)について

前示した原告の杉本美容形成外科での症状経過のほか、〈書証番号略〉によれば、原告は、杉本美容形成外科に通院して、左右の胸の豊胸手術を受けたものであり、右費用は、一一〇万七〇〇〇円であることが認められる。

ところで、順記が豊胸手術に用いていたシリコンパックは、他院では扱っていない独自のサイズ(五〇ccその他)のものであり、そのため、串田病院で摘出された右胸の豊胸手術を他院でやり直す場合、左胸についても豊胸手術のやり直しを避けがたいところではあるけれども、先に二の6で判示したように、原告が他院で豊胸手術のやり直しをすることになったのが、順記の診療拒絶によるものとは認めることはできず、そうしてみると、順記の債務不履行と相当因果関係のある損害は、右胸のみの豊胸手術のやり直しに相当する部分の費用に限られるものというべきである。そして、豊胸手術の右胸のみのやり直しに要する費用は、杉本美容形成外科での治療費(手術費用ほか)を斟酌して算定すると、六〇万円とするのが相当である。

3  慰謝料

前示した原告の第二手術後の症状経過、右胸創部の状況、串田病院及び杉本美容形成外科での治療期間(入通院期間)、その他本件審理に現れた一切の事情を総合考慮すると、原告の精神的損害に対する慰謝料は、金五〇万円であると認めるのが相当である。

4  過失相殺

以上より、原告の損害額は、右1ないし3の合計一一七万七五二二円となるが、原告は、順記より、第二手術に危険が伴うことにつき説明を受け、これを理解、承知しながら、なお、順記に第二手術の施行を求めたものであることは前示したとおりであり、損害額の算定にあたっては、かかる原告の右行為を原告の過失として斟酌するのが公平である。

そして、美容外科医と患者という両者間の関係をも考慮して、順記の前記過失と原告の右過失とを対比すると、その割合は、順記が八、原告が二とするのが相当である。

したがって、原告の損害額は、右1ないし3の合計額(一一七万七五二二円)よりその二割を減じた九四万二〇一七円となる(円未満切り捨て)。

5  弁護士費用

本件事案の内容、審理経過、認容額等の諸事情に照らすと、本件訴訟と相当因果関係のある損害と認められる弁護士費用は、一〇万円と認めるのが相当である。

6  以上により、原告が被告らに対し請求できる金額は、右4及び5の合計一〇四万二〇一七円となる。

六被告らの責任(相続)

順記は、前示した債務不履行により、原告に対し、前記五の損害賠償債務(一〇四万二〇一七円)を負担していたところ、前示一の当事者間に争いのない事実のほか、〈書証番号略〉によれば、順記は、平成元年八月一六日に死亡したこと、被告こと子は、順記の妻であり、被告令人、同いり及び同辻は、いずれも順記と被告こと子との間の子であり、被告らだけが順記の相続人であって、他に順記の相続人は存しないことがそれぞれ認められる。

したがって、被告らは、順記の死亡により、法定相続分に従い、次のとおり、順記の右債務を相続により承継した(円未満切り捨て)。

(一)  被告こと子(法定相続分二分の一)

五二万一〇〇八円

(二)  被告令人、同いり及び同辻(法定相続分各六分の一)

各一七万三六六九円

第四結論

以上の次第で、原告の被告らに対する本訴請求は、被告こと子に対し、金五二万一〇〇八円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である平成二年三月一一日(右は記録上明らかである。)から支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の支払を、被告令人、同いり及び同辻に対し、各金一七万三六六九円及びこれに対する訴状送達の日の翌日(被告令人においては平成二年三月一〇日、同いり、同辻においてはいずれも同月一一日であることが記録上明らかである。)から各支払済みまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金の各支払を求める限度において、それぞれ理由があるからこれを認容し、その余は失当であるからこれを棄却することとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法八九条、九二条、九三条を、仮執行の宣言につき同法一九六条をそれぞれ適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官小北陽三 裁判官岡健太郎 裁判官加島滋人)

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